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【社長インタビュー前編】沖縄の魅力を「カタチ」にするための沖縄への想いを聞きました
2023.10.24BLOG
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弊社琉球ワークスはお土産品を中心としたノベルティグッズやオリジナル商品の
企画から製造において、デザイン制作を含めトータル的にサポートする会社です。
「スタッフインタビュー」企画では、弊社琉球ワークスで勤務するスタッフの
仕事に対する考え方や向き合い方などを深堀してきました。
デザイナーや営業職など、さまざまな職種のスタッフへインタビューしています。
過去のインタビュー記事はこちらからご覧ください。
この記事でインタビューしたのは、弊社琉球ワークスの代表を務める岩月昭雄社長。
「スタッフインタビュー」もとい、「社長インタビュー」になります。
このインタビューでは琉球ワークスができるまでの成り立ちをはじめ、
岩月社長が会社の経営や仕事をするうえで大切にしていることなども聞いてきました。
前編となるこの記事では、琉球ワークスの成り立ちまでをご紹介します。
これまでのスタッフインタビューでも、観光業や仕事における新型コロナの影響は聞いてきましたが、
経営者である岩月社長からの目線でもお話を伺いました。
こちらは後編で詳しく紹介します。
貴重なお話の数々は必見です。
琉球ワークスができるまで
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徳川家康が誕生した岡崎城を有する岡崎市や世界のトヨタでお馴染みの豊田市のお隣、
日本のデンマークとも称される自然豊かで農業が盛んな安城市で生まれました。
岩月社長は元々、絵を描いたり工作をしたりするのが好きだったとのこと。
学生時代は美術部に入りながら、芸術大学への進学を志望していたのだとか。
望みどおりに名古屋芸術大学へと入学し、無事に卒業すると
オリジナルグッズの企画や製造を行う会社へ新卒として入社します。
ここから岩月社長の仕事人生が始まり、琉球ワークスの誕生に繋がっていくわけです。
オリジナルグッズの企画、製造を行う会社へ入社
大学卒業後、オリジナルグッズの企画や製造を主な事業とする「スピーチバルーン」という会社へ入社。
取引先にはサンリオやミスタードーナツをはじめ、リゾートホテルやスキー場などを
クライアントにしながら、オリジナルグッズの企画や製造を行っていたとのこと。
倉庫を改造した社屋はかなりおしゃれで、TVや雑誌の取材が度々訪れるほど。
社内には期間限定ながらも画家がいて絵を描いていたり、段ボールアートをする人や漆職人がいたりと
クリエイティブな空間に胸を躍らせたそうです。
当時はバブルの時代でもあり、今ではできないような体験ができました。
しかし、同期の転職や上司と同期が手を組んでの独立が相次いだことで孤独感や劣等感を抱くことに。
ところが、周囲の人間がいなくなったことで、必然的にほぼ全ての仕事に携わるようになりました。
仕事や事業における全てを無我夢中に吸収できる機会に恵まれ、成長の機会を得たと言います。
岩月社長いわく、「今の仕事の原点はこの体験にある」と言います。
琉球ワークスの原点となる会社へ転職
スピーチバルーンで2年ほど働いたのち、転職を考えたと言います。
そんな折、知り合った社長に誘われる形で琉球ワークスの原点となる「ヤエックス」という会社へ入社。
ヤエックスは元々、肌着や子ども服の製造卸をする名古屋の会社でした。
転職の決め手は「会社でやりたい仕事をしても良い」と言われたからだそう。
事実、第三事業部を設立する形で事業をスタート。
デザインの企画や生産管理、営業から出荷に至るまでの全てを1人でスタートさせたというから驚きです。
リゾートホテルや博覧会をはじめ、全国の水族館や動物園、TV局などをクライアントにグッズ制作を手掛けつつ、
47都道府県の全てを営業して回りました。
その後は大学の後輩などを仲間に加え、絶対にデザインを妥協しない仕事にこだわったそう。
残業ばかりの毎日だったものの、チーム全員が仕事を誇りに思いながら
楽しんで仕事をしていたのが印象的だと話してくれました。
仕事というよりも、「作品作り」の感覚に近かったと言います。
琉球ワークスを設立
転機となったのは美ら海水族館がリニューアルすると聞いて、沖縄へ営業に来たことでした。
ヤエックスはオリジナルグッズの制作を手掛ける業界ではかなりのシェアを誇っていただけに、
実績も相まって提案にはかなりの自信があったそうです。
ところが、「沖縄県内の業者を大切にしたいから、付き合いがある業者も多くいて頼むことはない」と
断られてしまうと同時に、契約への壁に対する疑問を感じたとのこと。
百科事典のような企画書を持ちながら粘り強く提案を続けるうちに、沖縄における観光の目玉とも言える
美ら海水族館のグッズ制作を任せてもらえるように。
横の繋がりが強い県民性の中で、本土の人間および企業としてはかなり珍しい出来事でしょう。
そんな営業の日々の中で、沖縄の居酒屋が名刺交換の場だったと言います。
本土において居酒屋で名刺を出すことはほとんどない。
したとしても、社交辞令的でその場限りというのが常だろう。
ところが、沖縄では「連絡してね」と言われて実際に連絡すると会ってくれたり、
名古屋にあるヤエックスの会社へ果物が届いたりもした。
その場限りではない、出会った人を大切にする沖縄や名護の人たちの温かみが嬉しくて惹かれたと言います。
そんな沖縄での出会いを通して地元沖縄とともに「共存共栄」したいとの思いから、
沖縄へ貢献するため琉球ワークスをヤエックスの完全子会社として設立しました。
琉球ワークスとして完全独立へ
岩月社長が琉球ワークスで目指すのは、地元沖縄と共に「共存共栄」しながら
沖縄の産業を盛り上げて貢献していくこと。
そのためには地元沖縄でグッズを制作して雇用をし、税金を支払って還元するのが使命だと言います。
特に、現在は琉球ワークスで一緒に働いてくれる仲間を募集しています。
過去の「スタッフインタビュー」ではスタッフだからこそわかる琉球ワークスについて、
社内の雰囲気なども含めて詳しくお話を聞いています。
興味があれば、公式サイトを覗いてみてください。
岩月社長は琉球ワークスとしても奔走する中、2018年にヤエックスを退社して
琉球ワークスの株を100%買取り、ヤエックスの株を売却して資本関係を解消しました。
こうして、琉球ワークスとして完全に独立しました。
まとめ
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前編はここまでです。
後編となる次回の記事では、新型コロナの流行によって生じた変革や地元沖縄への向き合い方、
岩月社長が仕事や会社経営において大切にしていることなどを取り上げていきます。
岩月社長自身をもう少し掘り下げながら、琉球ワークスへの理解度を上げていければと思います。